摂理


 ファン・Sは、ペイク・Cが嫌いだった。許せなかった。逆もまた、然りであった。
 ファン・Sはペイク・Cが憎いあまり、「奴がいる限り、私の魂は休まらない。イライラが治まる日は決して来ない。ああ、あいつ、事故に遭って死なねえかなぁ」と常々思っていた。逆もまた、然り。

 一方、イル・Mは、考え続けていた。ファン・Sの説教とペイク・Cの侮蔑に耐えながら、単調で、どちらかと言えばみじめな作業を日々続けながら、頭の中では、ああでもないこうでもない、と思案していた。何とかして、あの二人が本気で殺し合うシナリオを、うまく演出できないもんかな?
 もちろんイル・Mは、高見の見物をきめ込むつもりだ。事件に関与したとは、当人二人にも他の者にも、決して気取られはしない。そして全て終わった後、したり顔で皆に語るのだ。「俺は前々から、こうなると思ってたよ。これも運命さ。天の摂理さ」

 そうして、三十年が経った。
 あいもかわらずイル・Mは、ファン・Sとペイク・Cに怯えながら、二人を遠くから観察していた。
 そんなイル・Mが、通りがかった若いユリア・Pに見とれ、思わず追いかけてしまい、数分だけ持ち場を離れた。二人には気づかれないように細心の注意を払ったつもりだった。
 ファン・Sとペイク・Cはすぐ気づいた。二人は「おや?」と呟き、嫌な顔をした。ずっと毎日同じ場所で同じ作業を続ける、それだけがあの男の、あるかなしかの取り柄みたいなものなのに。それが今、ふらりとどこかへ消えた。極めて珍しい出来事だ。初めてかもしれない。それまで目を合わそうともしなかったファン・Sとペイク・Cは、少し驚いた拍子に、思わず視線を交わしてしまった。
 それがきっかけとなって、ファン・Sの首は体から離れて転がり、ペイク・Cは上半身をトマトのようにすり潰された。

 少しゆるんだ顔で戻って来たイル・Mは、我が目を疑った。まさか、自分の行動が引き金だったとは、知る由もなかった。
(なんでだ? なんで、よりによって、このタイミングで!)
 三十年、ずっと見張っていたのに。二人が死ぬ瞬間を、苦悶の表情を、見逃してしまった! いや、何より、俺が手を下したかったんだ!
 イル・Mは頭を抱えた。思えば俺は、いつもこんなだ。巡り合わせが悪いんだ。肝心な時に限って、俺はこれからもずっと、外れくじを引き、笑えないドジを繰り返すんだ……。
 背骨が外れたようにぐったりとうなだれたイル・Mは、作業台の引き出しから、防犯用の古い拳銃を取り出した。イル・Mのしょぼくれた人生をリセットする号砲が景気良く響き、イル・Mの首は、体から離れない代わりに大穴を開いた。

(2014年 3月)