へし折る
入眠の儀式というのだろうか、人それぞれいろいろに、夜、寝床の中で自らの意識のスイッチを切るきっかけとする、習慣のようなものがあるようだ。
寝る前に聖書を読むだとか、ミルクを一杯飲むだとかそういう就寝前の行動のことを言っているのではない。布団をかぶり目をつむり、いよいよ眠りに落ちる、その瞬間の心の中での習慣のことだ。
要するに、羊を数える、だとか、そういうもののことだ。ある高名な作家は、空想の中、銃で人を一人ずつ撃ち殺していくという物騒な妄想によって安らかな眠りに就いていた、などという話も聞く。
これは無限拡散型とでも呼べるタイプで、単調で当人にとって心地よい空想を無限に連続させてゆくうちに、いつの間にか眠りに落ちるという技法である。
一方、合図型とでも呼べるタイプもある。
一番簡単なものは、かく言う私もよくやるのだが、催眠術師の掛け声のように、「3、2、1、0!」と心の中で、あるいは実際に小声でつぶやくやり方だ。
「0!」の瞬間、ストーンと闇に落ちていくイメージ。
あるいは「0!」の瞬間に、テレビの電源が切れたように心が暗転し、思考も記憶もイメージも一気に消えるイメージ。
やったことがないなら、ぜひお試しになっていただきたい。慣れると、驚くぐらい有効である。
さて、私の友人Kの場合、「合図」とは、空想の中で何か棒状のものをポキリとへし折ることであったらしい。
彼曰く、それは木の枝であったり、プラスチックのような物体であったり、その時々で思い浮かぶものが違うらしい。
とにかく彼は、夜のベッドの暗闇の中、さあ折るぞ、と空想の両手で棒の両端を握り、もったいぶって徐々に力をかけ、そして満を持して棒が真ん中でポキッと二つにへし折れると、その瞬間に眠りに落ち込んでゆくのだという。
そのような入眠の儀式をKは、寝つけぬ夜にはいつも心の中で行っており、それは子供の頃からの習慣であったという。
ひと月ほど前のある朝のことである。
Kは枕元に奇妙なものを発見した。それは、真ん中で折れた爪楊枝であった。
Kは、その時には気にも留めなかったという。後日、これから述べる事件が連続して初めて、おそらくはこの爪楊枝が最初だったのではないか、と思い出したのだった。
爪楊枝の次は、箸であった。二本そろえてきれいに真ん中で折れていたという。
また別の朝には、薄い文庫本が二つに折れていることもあったらしい。さすがに本は切断されてはおらず、ただ背表紙が直角に折れ曲がっていたようだ。
一体全体、これは誰の仕業なのか。
Kは一人暮らしであった。
そもそも、箸をはじめ、枕元に無かったものが朝になると枕元に落ちているとはどういうことか。つまり誰かが夜のうちに取りに行っているのだ。そしてKの家の中には、Kしかいない。
夢遊病、という穏やかでない言葉が頭をよぎるとともに、自身の入眠の儀式のことも考えずにはいられない。
だが折れ曲がったさまざまな物が転がっているそんな奇妙な朝に限って、自分が前日寝る間際に心の中で何を折ったのかを、とんと思い出せないのだ、とKは言った。
これをきっかけに、Kの心に疲れが蓄積されていった。
彼の不眠症による衰弱は、日に日に酷くなってきた。
Kは若い頃からどちらかといえば神経質な性質(たち)で、だから心の中での入眠の儀式を必要としてきたのだが、この奇妙な事件が続いてからは、深く眠るということが一層困難になった。
Kはある夜も寝床の中で、自分でも寝ているのか眠れずにいれるのか判然としない曖昧な意識状態の中で苦しんでいた。体も脳味噌も泥のように疲れている。だからぐっすりと眠りに落ちたい。しかし、それができない。寝ていてもずっと考え事を続けているかのようだ。実際何度も目が醒める。
そうだ、棒だ。もう例の入眠の儀式はしばらくやめていたが、こうなってはまた、棒に頼るしかない。
固く目を閉じたKの意識の中心に、その夜は桃色の小さな棒が浮かんだ。
溺れる者が浮き輪に抱きつくように、Kはすがるように、その棒の両端を心の両手で握った。
それは、力を込めると、真ん中でくにゃりと曲がった。折れたのではなかった。
その棒ははじめから、下向きには曲がる構造なのだ。それを理解したKは、逆向きに力を込めてみた。
今度は手ごたえがあった。棒は曲がらなかった。そのかわりに、心地よいきしみが心の手を伝わってきた。棒は今にも折れそうだった。
が、Kは眠りに落ちなかった。激痛を覚え、布団から跳ね起きた。
あろうことかKは、自分の右の手のひらで自分の左手の人差し指を強く握り、手の甲の側にへし折ろうとしていた。
決定的な夜はその数日後に来たらしい。
その夜もKは、眠れぬ寝床の空想の視界の中央に、真っ白な細い円柱を見ていた。
Kは、空想の中で、その棒状の物体に手を伸ばした。
それは何でできているのかも分からぬ、ただの抽象的な棒だったらしい。
ただの、白く輝く、美しい棒だったらしい。
Kはそれの両端を握り、力を込め、いつものようにこれを折ろうとした。これを折れば、即座に深い幸せな眠りに落ちられる、という確信があった。
今回は、それに力を込めメリメリと曲げていっても、何の痛みも感じなかったという。
だが、痛みの代わりに強烈な不安に襲われた。
……これを折ったら、俺は終わりだ。これは俺の大事な何か、それどころか、俺の根幹をなす何かだ。
そう気づいて、Kは目を開け、ベッドから這い出ると、朝まで眠らなかったのだという。
Kが私と会って、この長い独白を語って聞かせたのは、その後、さして日を置かぬ頃だった。
小雨の降る陰気な空、ファミレスのコーヒーまでもが陰鬱な色を帯びていた。
Kの目は、完全に、狂人のそれであった。
私には、Kは遠からず、もしかしたら今夜にでも、その棒をへし折るのだろうな、としか思えなかった。
(2016年 8月)