呻(うめ)き続ける人は座して


 遥か昔の話である。前の前のさらにその前の王朝の頃のことらしい。
 この栄えある商業都市がまだ小さな山村だった頃、生まれた時から休むことなく呻き続ける人物がいたという。
 規則正しく、うぐぁぁぁ……、むぐぁぁぁ……、とその口から吐き出され続ける呻きは、ひと時たりとて止むことはなかったという。
 その人にとっては、息をするのと同じだったのだろう。

 その人物は、男とも女とも伝わっていない。ただ、呻く人、とのみ。実際に顔を見ても、どちらとも分からなかったのかもしれない。

 幼い頃は、哀れに思った父母が手厚く世話をしただろう。仕事を仕込もうとも試みただろう。
 だが呻く人は、口をきくこともなく、立ち歩くこともせず、いくつになっても、ただ座して呻き続けていただけだったという。

 村に宿を願った不幸な旅人は、何とも言えない厭な一夜を過ごしただろう。初めての者にとっては、それは悪鬼の声、亡者の声にしか聞こえなかっただろう。

 では家族、一族郎党、隣家の住人にとっては、どうだったのだろうか。
 慣れて、やがて気にとめなくなった、というわけではなかった。
 呻く人の、阿呆のように閉じることのない口は、まるで地の底の地獄に繋がっているかのよう。
 あるいは、世の人のあらゆる恨み辛み苦しみが煙突のようにそこから吹き出ているかのよう。
 慣れるわけがないのだ。慣れるということができないのだ。

 呻き声は春夏秋冬、朝も昼も真夜中も、常に響いていた。周囲の者の耳を、心を、舐め回し続けていた。
 何十年そこに暮らす者でも、その声を一日聞き続けていれば、あらためて心がじっとりと汚される。そんな陰鬱な声であった。

 呻く人が大人になり、あいもかわらずただ呻き続けていた頃。
 呻き声が届く範囲、農家数戸ほどの広さであろうか、呻く人を中心とするその地所は、やがて或る特殊な地名で呼ばれるようになったという。
 その名称は、現代に伝わっていない。
 その地所が忌み嫌われ、誰も足を踏み入れなくなったということではない。事実は、逆であったらしい。

 奇妙なことにその地所は、村落共同体の中で何らかの役割、機能を担うようになったらしい。
 例えば近郷の者は、朝の夢見が悪いと言っては、そこに赴く。
 喧嘩に負けた、博打に負けた、作物の出来が悪い、と言っては、そこに赴く。
 そうして、呻く人と面会するわけでもなく、ただかの家の近くに立ち尽くし、身を締めつけるような呻き声に身を晒して、そして帰っていくのだという。

 その地所は、一種の宗教的な秘所、外界とは違う空気が支配する聖地となったのだろう。
 陰鬱極まりない、不愉快極まりない聖地、それでいて誰にも上手く説明できない理由により必要とされた、そんな聖地であったのだろう。

 私はこの伝承に、これ以上いかなる考察を与えようとも思わない。
 ただ、そういうことが遠い昔にあったのだ、ということを伝えるのみだ。

 呻く人は、何をするでもなく、ただ座して日がな一日呻き続けていた。
 そうして、村の者は食料の世話、身の回りの世話を絶やすこともなく、呻く人は呻き続けて、天寿を全うしたという。

(2016年 8月)